ロレンシャンです。
私がサイドFIREを決断したのは2023年2月、そして2023年7月18日を最終出社日(退職は2023年8月末付)として会社を辞めました。
会社は入るよりも辞めるほうが大変。これは全く持ってその通りで、実際にサイドFIREを決断してからは、自分なりの準備と家族などへの説明、会社での引継ぎなどで今思えば相当にバタバタしていました。
今回はサイドFIRE決断から実際に会社を辞めるまでの一連の私のエピソードを振り返り、一つの記事にまとめました。
今後、FIRE、もしくはサイドFIREを目指していて、いざそれを決断してから、一体何をすればよいか、そして会社に対してどのように振舞えばよいかを悩んでいる方の参考になればと思います。
サイドFIRE決断までの経緯
私が本格的に会社を辞めたいと感じるようになったのは2013年頃。
当時はまだFIREという言葉は一般的ではなく、早期に会社を辞めて何かをすることを、脱サラやセミリタイアと言っていた気がします。脱サラという言葉は最近あまり聞かなくなりましたね。
当時、新卒として私が入社した会社は、工作機械に使う周辺機器関係(工作機械アタッチメント)を製造、販売するメーカーで、大学が電気電子工学を専攻していたこともあり、電装設計の部門に配属されました。
最初はこの会社で本気で頑張ろうと思っていましたが、結構早い段階から仕事内容に興味が無いことは薄々感じていて、ある時何冊かの本がきっかけで、「このままここで努力をしても自分は幸せにはなれない」、そう感じて急にモチベーションが低下していったのを覚えています。
そして入社して4年後の2013年、将来的にはこの会社を辞めて自分の好きなことをして生きていくんだ、と心に誓いました。
本ブログを立ち上げた2022年9月、サラリーマンを辞める日を「第二の人生」のスタートと位置づけ、ブログのタイトルを「ロレンシャン@第二の人生を歩む」と名付けましたが、実はこの時はまだサイドFIREではなく、完全な「FIRE」を目指していました。
2023年2月、ついにサイドFIREを決断
ブログを立ち上げるより前の2021年11月、今まではどちらかと言うと見ているだけだったツイッターの更新を始めます。
そしてツイッターで自分が更新をする傍ら、他の方のツイートを見ているうちに、完全なFIREは本当に自分に向いているのか、FIREしてやることがない、そんな事態にはならないか、という疑念みたいなものが出てきます。
もともと趣味は決して多くはないので、完全にFIREしたとして、毎日今日は何をしようか、と悩みながら生活することが本当に自分の求めていたものなのか。
毎朝散歩をして本を読んで、ゆっくりテレビを見て、それはそれで楽しいでしょうが、それが本当に自分の求めている生活なのか。
頭の中にいろいろな思いが交差しました。
そして自分なりに価値観を整理している内に、自分が望んでいるのは、退職後も自分のペースで仕事を続ける「サイドFIRE」なのではないか、と思うようになりました。
サイドFIREで自分の自由は確保しつつも、社会との繋がりを持ちながら楽しく仕事も続ける、これが理想の生き方なのではないか、そう感じてきたのです。
そしてブログを開設、サイドFIREの「サイド」への模索が本格的にスタートします。
2023年2月、会社を辞めて本格的に「サイド」の構築、「サイド」の模索に動きたいと感じ、サイドFIREへ「挑戦」することを決断します。
以下記事では当時の心境を語っています。
そしてついに2023年2月、サイドFIREに「挑戦する」ことを誓います。
この時から「挑戦」という言葉を使っていますが、事業所得が全くなければ非常に不安な生活を強いられる、その思いがこの時からありましたし、挑戦してみて全く稼げなければ、一旦サラリーマンに戻って再度体制を立て直す、その覚悟は今でもあります。
サイドFIREを決めてからの会社員生活は・・
サイドFIREを決めた直後は、なぜか仕事(本業)のモチベーションが急に上がったのを今でも覚えています。
2013年から志していた「退職」というゴールテープが小さく見えてきた、そんな感じです。
ただそのモチベーション自体はその後は落ち着き、早く会社に退職を伝えたいという気持ちが強くなっていきましたね。
当時のサラリーマン生活の心境は以下記事で書いています。
そしてサイドFIREを決断してから、会社に退職を伝えるまで、ここが一番忙しいというかバタバタしていました。
もちろん会社員としての仕事は普通にありますし、私には妻がいますから、両家の両親へ退職についての説明をしなければいけません。
自分の子供や自分の子供の配偶者が会社を辞めるというのは、親にとっても非常に大きなことなので、会社を辞める前に報告は必須と考えました。
また、クレジットカードを作ったり、各種保険、年金について勉強したりと、会社員の内に出来ることはやっておく必要がありました。
以下記事で、FIRE、セミリタイアを決めた際に退職までにやっておいたほうが良いことをまとめてあります。
2023年5月、意を決して会社に退職を伝達
そして2023年5月22日、ついに会社に退職を伝達しました。
初めに伝えたのは直属の課長でしたが、この時ばかりは独特の緊張感がありました。
もちろんサイドFIREします、とは言わず、
「具体的には差し控えますが、新しいことにチャレンジするつもりです」
と伝達。多くは突っ込まれませんでした。
退職を伝達した際の詳しい状況や心境は以下記事で詳細を記しています。
退職伝達後は、自分の上から重い何かが取っ払われたような晴れやかな気分だったのを今でも覚えています。
退職伝達後は社内、社外の人たちへの説明に苦慮
私はもともと技術部で電気設計の部門に配属されていましたが、2017年に自らの意志で営業部へ異動していました。
この頃はすでに自社の製品自体へ興味は既に失い、設計業務が苦痛だったこともあり、営業であれば、マーケティング、コミュニケーション力などを鍛えることが出来るとの思いからでした。
そして退職当時も営業部へ配属されていましたので、社内はもちろん、担当していた顧客も多く抱えていました。
そして案の定、サイドFIREを隠しての退職だったので、退職理由の説明には相当苦労しました。社内外の人にどのような説明をしたか、そしてその時の心境については以下記事で詳しく記しています。
ただ自分で言うのもなんですが、担当や業務の引継ぎには人一倍気を使いました。
私が担当していたエリアを引き継ぐ人へは、できるだけ担当エリアの顧客情報、担当者の性格や特徴、継続中の案件などは随時共有していっていますし、引継ぎにあたってこんな資料が欲しい、という要望があれば適時資料を作成しました。
「飛ぶ鳥後を濁さず」「終わり良ければすべて良し」を意識して出来るだけ迷惑を掛けないような引継ぎを心掛けましたし、退職の伝達から実際の退職までは2ヵ月を要しました。
2023年7月、そして念願のサイドFIREへ
2023年7月18日、最終出社日を迎えた私を、会社の同僚は気持ちよく送り出してくれました。
最後はみんなの前で挨拶。
14年間の会社への感謝の気持ちを述べ、花束を持って会社の門を後にしました。
その日は晴れやかな気持ちに包まれましたが、翌日からは色々な不安が頭をよぎったのも覚えています。
サイドFIRE生活に入った当時の心境や不安については以下記事で詳細に記しています。
何はともあれ、無事にサイドFIRE生活に突入。
2013年当時に目指していた正式なFIREとは少し異なる形とはなりましたが、私の第二の人生がここにスタートしたのです。
今後の私のサイドFIRE生活
さて、ここまで私がサイドFIREを決断してから、実際にサイドFIREをするまでの経緯についてまとめてきました。
今思うと、2月にサイドFIREを決断してから7月の退職まで、怒涛の5ヵ月でしたし、定年まで仕事をする普通の人には出来ないような新しい人生経験をさせて貰ったと思っています。
そして今、私のサイドFIRE生活は始まったばかり。
まだまだこれからやりたいことは沢山ありますが、最優先事項はもちろん「稼ぐ」こと。
事業所得が全くなければ、私のサイドFIRE生活は成り立ちません。
晴れやかな気持ちと「やってやるぞ」という気持ち、この二つが入り混じっている状況です。
今後は当ブログやツイッターでも、「私のサイドFIRE生活」の状況や心境などをお伝えしていくつもりです。
今後とも当ブログをよろしくお願いします!
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