ロレンシャンです。
ツイッターでも毎日報告していましたが、先週から今週前半にかけてプール熱(アデノウィルス)に感染し、ほぼ何もできない状態が続いていました。
プール熱(アデノウィルス)はあまりなじみのない方もいるかもしれませんが、主に子供が感染することが多い感染症ですが、感染力が強く大人にも感染します。そして大人に感染すると重症化する可能性があります。
経緯として、4月17日頃から結膜炎の症状が出ていましたが、正直、目にゴミが入った程度だと軽く見ていました。
そしてそのまま出張に行き仕事をしていましたが、4月19日頃に体調が悪化、体調不良のまま仕事をこなし、4月21日に内科を受診したところ、アデノウィルス感染症と診断されました。
この日以降熱が高い状態が続き、最大39.2度まで発熱。4月25日頃までほとんど動けない状態がしばらく続きました。
4月26日頃には幸い体調が回復してきましたので、この一週間プール熱(アデノウィルス)に感染して感じたことを文字にしておくことにしました。
寝込んでいた時に感じた事
丸5日間はほとんどなにも出来ずに寝込んでいた訳ですが、その時は主に以下のことについて感じることがありました。
- 家族は支え合って成り立つということ
- 貴重な時間を浪費する虚無感
- 食の大切さ
- 自宅の素晴らしさ
- 「健康が最大の資産」だということ
あくまで私が感じたことを素のままに解説していきます。
家族は支え合ってこそ成り立つということ
私が寝込んでいた間は子供の世話や私の食事はほとんど妻がやってくれていました。本当に感謝しかありません。
ただ、おそらくこれは私が寝込んでいた期間が5日間だけだったからこそ成り立ったこと。
これが5日間ではなく、1ヵ月間だったら、1年間だったら、一生だったらと考えると、おそらくこの関係はどこかで破綻する可能性があると思いました。
子供達も私が寝込んでる間は私に気を使って兄弟で遊んだりしていました。
子供達も普段は私とよく遊んでいたため、寝込んでいる最中もパパ遊ぼと、寄って来ては、「パパは今体調悪いからごめんね」と断っていましたが、これも1ヵ月同じことが続けば、もう寄ってすら来なくなるでしょう。
特に夫婦関係においては、お互いが支え合ってこそ成り立つもの、だと思います。
綺麗ごと抜きに言うと、健康を害して寝たきりになると、こちらから与えられるものはほとんどなくなり、こちらから与えられるものがなくなれば、相手から一方的にこちらを支えるのも、いずれ限界は来ます。
そういう意味では自分自身が普段から健康でいて、妻や子供を自分の得意分野でしっかり「支える」ということも大切だと身に染みて感じました。
貴重な時間を浪費する虚無感
普段の私は朝起きてから、ツイッターを更新しながら自分自身と子供の朝支度をし、出社。仕事が終わっても夕飯、お風呂、子供と遊ぶ、寝かしつけ、副業(ブログ)、とほとんど暇なし状態でした。
普段、なんとか2~3時間ぐらい自分の時間が取れればな~、とか考えていたものです。
ところが、寝たきりになると、上記のことは何一つできず、ひたすら寝て、気が付いたら夕方、また寝て気がついたら次の日、しかも高熱で頭痛や吐き気に見舞われ続ける、みたいな生活が続き、なにも出来ずに時間だけが過ぎ去っていく感覚に焦りというか虚無感というか、何とも言えない感覚がしました。
別にゆったりと時間を過ごすのが悪いと思っているわけではありません。ハワイのビーチで何も考えずに半日間寝ているのはとても充実しているとは思います。
リゾートへ行く場合はあらかじめゆっくりすると決めていくので、それも良いですが、普段通りのこなすべきスケジュールがある中で突如寝たきりとなり、やるべきことがなにも出来ていないまま放置され、かつ時間が意味もなく過ぎていくのが本当に悔しかったです。
また意図せずに1週間寝たきりになると、その1週間が無駄になるだけでなく、その後に元の生活に戻すだけでも結構苦労したりします。
これまでは毎日続ける、と頑張っていた習慣なども1週間の空白をきっかけに続けることが出来なくなるなんて話はざらにあると思います。
健康を害すると、今回のように多くの時間がなにも出来ずに失われていく、これも身に染みて感じたことの一つです。
食の大切さ
もうひとつ大きく感じたのが食の大切さについて。
発熱中は食欲が大きく低下し、はじめはゼリーやうどんなどを食べていましたが、とにかく味が全くせず、味覚が完全に失われていました。
味がない中ものを食べるのは苦痛でしたが、食べないとお腹もすくし、病気の時もある程度は食べたほうが良いとは聞いていたので、無理してでも少しは食べるようにしていました。
1~2日はともかく、3日を過ぎてくるとこの食事がどんどん苦痛になってきました。
初めのころに食べていたゼリーが途中から全く受け付けなくなり、普段は大好きな麺類もほとんど受け付けなくなりました。ゼリーだけは食べれる、お茶だけは飲めると思ってそればかりを摂取していると、不思議とそれすらも受け付けなくなるのですね。
普段、食事が美味しいということがどれだけ贅沢なことか。普段、食事が楽しみということがどれだけ贅沢なことか。
これを身をもって感じることが出来ました。
これから、日々の食事をおいしく食べられることには本当に感謝しなければいけないな、と思います。
自宅の素晴らしさ
これは出張によく出る私だからこそ感じたことかもしれません。
体調が悪化した4月19日は、出張先のホテルに滞在していたのですが、普段はともかく、体調が悪化している時はとにかく不便です。
もちろん家族が近くにおらずに一人きりということもありますが、薬もなければ布団も薄い掛布団と薄い毛布しかありませんし、エアコンをつけると部屋が乾燥します。
衣類も持ってきたものしかありませんし、マクラが合わないものだと寝心地も悪いです。
また、水分や食料も買ってきた分しかなかったので、飲みたいだけ飲むという訳にはいかず、また冷蔵庫も温度調整が効かないタイプであまり冷たくならなかったです。
あまりホテルの文句は言いたくありませんし、普段は普通に我慢できますが、やはり体調が悪い時はとても気になりますし、温度関係の不満は死活問題だったりします。
その点自宅は、衣類や布団はどれだけでも重ね着できますし、水分もどれだけでも飲めます。何より何かあった時に妻が隣にいるのが安心です。
普段何気なく帰る自宅があるというのは本当に幸せなことですね。
「健康が最大の資産」だということ
39.2度の高熱を出して寝込んでいる時、ふとこんなことを思いました。
「いくらでも払うからこの状況から今すぐ開放してくれ・・・」
高熱が数日間続いていたこともあり、ふと思っただけで、じゃあ実際3,000万円払えとなれば断るでしょうが、少なくともその時はそう感じるぐらい辛く感じたことは事実です。
今回はアデノウィルスということで、放っておけば治る感染症ですが、これが重度の癌などで治るかどうかも分からない、となったら、それこそ本当に全財産払ってでも病気を治してほしいと思うでしょう。
- もっと早くに気が付くことはできなかったのか
- もっと日々食事に気を付けていれば良かった
- もっと毎日の運動を欠かさずにやっていれば良かった
- 何故あの時病院に行かなかったのか
と悔やみ続けるかもしれません。
それほどまでに健康は価値が高い。
健康があってこそ私たちが普段から蓄えている持っている「お金」が生きるのです。
お金を使って楽しめるおいしい食事も楽しい旅行も、面白い映画やゲームも、何気ない日々の家族との会話も、すべて健康が土台にあってこそなのです。
そして、「健康は価値が高い」ということは、それを失ってみるまで気が付かないものなのです。
私も少しの期間健康を失ってみて、気付きを頂きました。
もし本格的に健康を失ってしまったらずっとこの状況が続く、そう感じた時はっと思いました。お金を貯めることも大切だけど、健康を維持することはもっと大切だと。
これからは「健康が最大の資産」だということを心に強く認識していきたいと思います。
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